2022.02.25
【縄文再考】まとめ①~縄文体質は今も日本人の基層をなす~
こんにちは!
2021年9月からシリーズとしてお届けしてきた【縄文再考】のまとめを行いたいと思います。これまで、45記事の追求をしてきましたが、そのなかで見えてきた中身は何か?新しい認識は何か?今回のまとめ記事ではシリーズを総覧していきます。
シフトレバーのネジ径を変換するアダプタ 【口径変換アダプター 各車種対応】車が変わってもお気に入りのシフトノブが使える 異径エクステンション 12×1.25/12×1.75/10×1.25/8×1.25/10×1.5続きを読む "【縄文再考】まとめ①~縄文体質は今も日本人の基層をなす~"
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2022.02.17
―縄文再考― 縄文土偶の謎に迫る~土偶の使い道~
過去いくつかの記事を書いてきましたが、最終的には「祈りの道具」という結論に至りました。
が、縄文土偶は弥生時代に入りほとんど製作されなくなりました。
つまり、創る必要がなくなったと言えます。
では、縄文時代に土偶が創られたのはなぜか?本当に「祈りの道具」(だけ)のためなのか?
「祈りの道具」であることは可能性として高い(―縄文再考- 土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。 – 縄文と古代文明を探求しよう! 、)。ですが、おそらく別の用途があったと思われる。
今回は縄文土偶の使い道について追求していきます。
■縄文土偶の謎
土偶の本当の使い道を追求するにあたり、今考えられる土偶の謎を列挙します。
- 用途が不鮮明(考古学者、作家などのあらゆる仮説からも使い方が分からない)
- 中期、後期、晩期で盛んに作られている。それもすべての時期において立派なものが出土している。
- 技術力の必要な中空化、華美な装飾を行っている。→中空化は軽量化になるがなぜか?華美(施しの工夫)にするのは祈りを強めるため?
- 人口に関係なく大小様々な土偶が数多く存在すること→なぜそんなに作る必要があったのか?
これほどまでに追求されている土偶が「祈りの道具」(だけ)というのは素直に”なるほど”とは言えない。
■縄文時代から弥生時代で何が変化した?
弥生時代に入り、土偶がほとんど創られなくなりましたが、時代が移ろいでいく中での変化によるものの可能性が高いです。
縄文時代から弥生時代に入り大きく変化したのは、
- 母系社会から父系社会への転換
- 狩猟採集(一部栽培)→稲作への転換
- 稲作によって、自然の所有化が始まる
この三つに大きな要因があると推測します。
■母系社会から父系社会に転換したのはなぜか?
縄文時代は女優位と言われています。母系で集落を支えていました。
採取・子育て・土器を用いた煮炊きなど、集落に纏わる安定部分のほとんどを女が担っていました。これが女優位の理由です。
※女優位なのは明確で、男は狩猟が主。獲物を捕獲できないことも多かったです。ゆえに不安定で、女に生活を”支えてもらっていた”。
上記から、女が他集落に嫁入りすることは考えにくい。つまり基本は他集落の男が婿入り(外婚)する形式となります(血縁間での出産リスクの知恵もあった)。
弥生時代は渡来人からの技術の伝承で稲作が始まります。力仕事もあるので男女で行います(男女一対の土偶はこれが表現されている)。
稲作に顕著ですが、土地を集落の所有物として位置づけます。ですが、水は川などから引いてきます。つまり他集落と共有することになり、水を巡った争いや、土地の所有権を巡った争いが起きます。
所有物がなくなれば集落の食料は確保できないため、これを守ることが重要な課題になります。女よりも男の方が力が強いこともあり、闘争圧力は男に集中します。集落の安定は男の課題になり、男優位つまり父系社会(男が集落に残る)になります。
■母系社会である縄文時代の男はいつでも外に出れた(他集落へ)のか?
【縄文再考】縄文人は「女の家」「男の家」「若者の家」とすみ分け、社会的分業を高度化し自生力を高めた – 縄文と古代文明を探求しよう! でも論じたように、男は集落のために闘い(狩猟)、武器づくりや罠作りなどに励み、若者は男(成人)に学び、自生力を身に着けていきます。
そんな男ですが、いつでも自由に集落を出ていくというのは限りなく考えにくいと私は思います。”女”に認めらた男が他集落へ行きます。
■女は男の何を認めるのか?
男は若者時に自生力を身に着けて行きますが、決して自分が生き抜くためではありません。共同体を生かす力です。自生力を磨く中で集落を生かす意識(共同体肉体度)を高めていきます。
ただ、男と女は自然を所有化せず、自然に生かされています。そして男は女に生かされています。だからこそ男は、自然への注視・一体化、感謝、女への畏敬の念、安産を祈りとして土偶に込めたのです。外圧が変化するにつれて、祈りの対象を変えているのも共同体肉体度があるが故です(好きなものを作っているわけではない)。集落に対して強い思いがあるほど、祈りの度合いも強い。それが土偶が華美な理由です。
―縄文再考- 土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。 – 縄文と古代文明を探求しよう!
そして、女は男の共同体肉体度と集団を生かす力を評価したと考えられる。
その一要素として共同体肉体度が現れる土偶があったのではないでしょうか?
結果としてそれが一人前の証として扱われていったのです。
■一人前の証としての土偶
集落を後にした男は、他集落に着くや、土偶を見せ、自分が一人前として認めてもらったことを証明するのです。土偶の出来栄えで男の器を計るのです。そうして受入れてもらい、外婚が成立する。
(他集落も誰でも受け入れる訳にはいかない。共同体肉体度がない勝手な男は危ない。)
中期、後期、晩期で常に立派な土偶が出土している理由は、この一人前の証としての土偶にあります。数多くの土偶が創られたのも、持ち運ぶことも考慮して、中空化による軽量の工夫が施されたのも他集落への一人前の証として持ち運ぶ必要があったかと
考えられる(置くだけなら中空化する理由にはならない)。
■まとめ
・土偶は「自然に生かされている」「女に生かされている」感謝からくる「共同体肉体度が高さ」が表出した「祈りの道具」。
・女は「共同体肉体度」と「自生力(集落を生かす力」を評価し、「一人前の証」として土偶を位置づけた。
※男は一人前になりたいがために土偶を創るわけではない
・他集落へ移る際に、「一人前の証となる土偶」があることで認められ、新しい集落の一員になれる。
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2022.02.17
【縄文再考】縄文文明の原理を探求する①~縄文の8つの文明原理
この間、【縄文再考】シリーズを追求してきました。
「これまでの縄文観を覆す、新たな事実が見つかってきた」にある通り、最新の調査・研究により、これまでの縄文観を覆す、新たな事実も見つかってきました。
その上で、当ブログの過去の蓄積と新事実を重ねながら、1万年以上続いた縄文文明の興隆と弥生への移行を通じて、縄文とはどのような時代なのか。縄文文明を通じて、自然と文明との関わり、人類のあるべき姿などを模索していきたいと思います。
当ブログでは、過去に環境考古学の大家である安田喜憲さんの本「縄文文明の環境」をご紹介しました。
この本で記載されている、「縄文の8つの文明原理」を手がかかりに、追求を開始していきます。
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2022.02.11
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皆さんこんにちは!
先月は日本からおよそ8000キロ離れたトンガの海底火山が噴火しました。
今回のトンガ噴火で放出した力学エネルギーは広島原爆爆発の数百倍といわれています。
縄文時代でも鬼界巨大カルデラ噴火によって南九州縄文人が絶滅した可能性が高いと言われています。
今回は縄文時代の噴火による自然災害の影響、縄文人が滅亡するまでに至った彼らにかかった外圧について順を追って追求していきたいと思います。
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posted by hanada at : 2022年02月11日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2022.02.08
【縄文再考】 人類のアジア起源説 オランウータン~から縄文人まで
皆さんこんにちは。
今回は、縄文人がどこから来たのか、人類の起源までさかのぼって検討します。
実は、人類の起源は、オランウータンとの共通の祖先で、従ってアジア起源、そのまま東アジア地域の人類進化に繋がり、縄文人もその中に含まれる、と言うお話です。
古人類 化石人骨年代一覧と人類進化系統樹
(進化系統樹はこちらから)
人類起源に関して、古人骨に対する分子生物学のDNA解析で様々な見直しが生じています。従来の形態学的解析と照査し、人類のアフリカ単一起源説や、チンパンジー祖先説さえも見直しが可能な状況です。
上の表は、化石人骨の年代測定の結果と出土場所別に一覧化したものです。まず、最も古い化石人骨は、インド北西部のシワリクで1910年に発見されたシヴァピテクスで、アフリカではありません。その後アフリカで様々な古人類(アウストラロピテクスやパラントロプスなど)が年代的に継続して発見されています。しかし、最も古い古人類が北インドとなると、何時アフリカから出てきたのでしょうか⁉
比較的新しい年代では、ホモハビリス、ホモエレクトス、ホモサピエンスと、アフリカからアジアへ展開したように見えなくも有りません。しかし人類の祖先となる類人猿まで広げて考えた場合、アジアに生息するオランウータン、アフリカのチンパンジーやゴリラとの関係が考慮されるべきで、実は大型類人猿で最も人類に近いのは、オランウータンであることも分かっています。
直立二足歩行できるのはオランウータン
アウストラロピテクスが、骨格的に直立二足歩行をしていたことがコンピューターシュミレーションで明らかになっています。チンパンジー、ゴリラは、ナックルウォーク(二足歩行ではない)で、骨格も異なると言います。樹上生活をしていたオランウータンだけが、「大きな安定した枝の上を歩く時や細い枝の下を渡る時は四足を用い、直径4cm以下の細い枝の上を歩く時には腕でバランスを取りながら二足を用いて歩行することが明らかとなった。」wikipediaと言います。
もし、人類の起源がアフリカの類人猿でなく、アジアの類人猿=オランウータンに近いのだとしたら、人類はアジアで進化し、アフリカに到達した可能性もある。
因みに、オランウータンと人類の分岐は1400万年前で、チンパンジーがヒトと分岐したとされる478万年より古い。しかも、シヴァピテクス以外にも、サヘラントロプス・チャデンシス(700~680万年前)、オロリン・トゥゲネンシス(610~580万年前)、アルディピテクス・カダッバ(580~520万年前)など、チンパンジーとの分岐以前に人類化した人々が存在している。
もはやチンパンジーとの分岐は、成り立たない。
現実的には、様々な古人類が各地を往来しながら交配し、遺伝子を分け合いながら時には別の進化をしたり、一部は絶滅することもある。そう想像したとき、アフリカからユーラシア大陸、東アジアのスンダランドや島しょ部など、往来しながら次第にホモサピエンスになっていったのだとすると、各地域に各段階の骨が残っていても不思議ではない。
ネアンデルタール人とデニソワ人と縄文人、現日本人
ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とデニソワ人(ホモ・サピエンス・デニソワ)は、交配し現生人類へもその遺伝子を継承していると言う。デニソワ人は、ロシア中南部のアルタイ地方の出自と言われる。
「デニソワ人と東アジアやヨーロッパの集団との間には交雑が認められず、メラネシア人のゲノムの4~6%だけがデニソワ人固有のものと一致することが示されました。その後に行われた東南アジア集団の詳細な解析で、デニソワ人のゲノムがこの地域の広範な集団に共有されていることが明らかとなり、交雑の起こった地域も東南アジアである可能性が指摘されています。」(篠田謙一博士「DNAで語る日本人起源論」岩波現代全書)と篠田博士は言います。
この東南アジアの交配の豊かさと、その後の縄文人の東アジア各地から来た人々の交配から縄文人が、日本列島で多様性に満ちて暮らしていた様々な人々が「縄文人」とする可能性も有ります。
縄文人が「均一」ではなく、南方、大陸の北、朝鮮半島の様々な同時代人とその都度交配して、少しづつ違う文化を持つ人々が地域ごとに日本列島に根付いた。そう考えることもできると篠田博士は言います。
特に南方からの渡来は、古人類 化石人骨年代一覧と人類進化系統樹表の通り、旧石器時代の人骨が沖縄列島や青森県で見つかることも、既に旧石器時代に日本の南部から北部まで到達していた、と言えるので、その後の縄文時代も決して単一的な民族ではなく、多方面由来の人々がそれぞれ暮らしていた、と考えられます。
東アジアの色濃い多様性の一部に縄文人=縄文時代に日本列島に居住した多彩な人々
約170万年前のホモ・エレクトス・ユァンモウエンシス、ホモ・エレクトス・エレクトス、ホモ・ぺキネンシス、ホモ・フローレシエンシス、ホモ・ ネアンデルターレンシス、ホモ・サピエンス・デニソワ、沖縄・青森の旧石器人。その流れの中に縄文時代の日本人も居た。
その後弥生時代に朝鮮半島より渡来した人々とも混血し、弥生人、その後の古墳時代人が形成され、次第に「日本人」となった。
遺伝子や化石人骨はそう語っている、と思うのですが、如何でしょうか。
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posted by sai-yu at : 2022年02月08日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2022.02.04
【縄文再考】自然災害を恐れるのではなく、注視し、生き方を変え、適応(共存)していく縄文人の底力
みなさん、こんにちは。
今回は、縄文時代における人口、縄文人たちの生活に大きく影響を与えたであろう『災害』について分析していきます。
そもそも、縄文人に影響を及ぼした災害って何なのか、どんな被害を受けたのか、そして縄文人って災害をどう乗り越えてきたのかを明らかにしていきたいと思います。
■自然の摂理に沿った生き方
まず、特筆すべきは、縄文時代の貝塚を調査すると、津波・河川氾濫などの水害をうけたものはみられないということ。
津波のこない高台を選んで集落を形成。内陸でも、縄文時代の集落はほとんどが、河川の支流が近くを流れる大地の高台のへりに作られているそうです。
※流されたから遺跡が残らないという指摘もありえますが、頻繁におきていたら一部が流された…という集落がないとおかしい。そういう遺跡が発見されていない以上、ほとんど水害はなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
一方で、稲作をはじめた弥生時代以降は、甚大な被害をもたらした大規模な洪水痕跡が複数検出されています。
縄文人は、自然の摂理に逆らわず、自然外圧を読み、生きていたのでしょう。
■自然を畏れ、敬い、生き方を変える
縄文時代に大きな影響を与えた災害は「火山の噴火」です。中でも下で紹介する火山噴火は甚大な被害をもたらしています。
約 7,300 年前 鬼界カルデラ大噴火 【縄文早期末】
・薩摩硫黄島、竹島、屋久島付近の海底まで広がるカルデラ
・3万メートルの噴煙柱/100 キロ離れた薩摩半島にまで達した火砕流/火山灰は九州全土に厚く積もり、西日本全体にも降り注いだ
約5,900年前 十和田火山巨大噴火 【縄文時代前期】
・青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町の県境に位置
・青森県全土が焦土と化した/岩手県の陸前高田、山形県の月山まで噴火の軽石が飛んでいき、堆積
約5,400年前 沼沢火山噴火 【縄文時代前期末葉】
・福島県大沼郡金山町の会津盆地の南西山地に位置する沼沢火山
・広域拡散型の流速 100m/s を超の火砕流、会津盆地南半を覆い、噴火口から約 30㎞離れた阿賀川流域付近まで到達
約3,000年前 富士山4回の爆発的噴火 【縄文時代後期】
・通常西風が吹いており噴出物は東側に多く積もりますが、大沢スコリアのみは、東風に乗って浜松付近まで飛んでいます
・結果として、富士山以東が寒冷化、以西は寒冷化の影響少
こうした火山に対して、縄文人は、富士山を崇めていたことを推測させる遺構(富士山の方向に向かって配置された環状列石や帯状列石)が残っているなど、山岳信仰がみられます。恐怖の対象である火山を避けるのではなく、畏れ、敬っていたのです。
また、火山の被害(火砕流や火山灰等)を受けた土地は壊滅状態に陥ることに焦点があたりがちですが…実は、同じ土地に戻ってきて、生活を再建した集落、さらには新しい食料を発見し、新しい土器を生み出し、生き方を変えることで、隆盛を極めた例さえあるそうです。
★十和田火山後の青森県では、栗林、円筒土器文化の出現が同時期に発生しています。
★噴火や土石流でムラを出なければならない状況になってしまった縄文人が、近い将来にここに戻ってくることを願い、ここに埋めたのではないかと言われている宝石も見つかっている。
自然災害を単に畏れる(恐れる)だけでなく、注視し、生き方を変え、適応(共存)していくのが縄文人の底力なんですね。
また単に耐えるように生活するのではなく、逆境を糧に、新しい技術を生み出し、進化していくことも縄文人に学ぶべきポイントでしょう。
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posted by sibata-h at : 2022年02月04日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2022.02.01
【縄文再考】 日本列島の稲作起源(稲作は舶来の食糧生産技術)
出典はコチラ
みなさん、こんにちは!
縄文時代の後半・晩期から、稲作が既に日本列島に流入していたことが当ブログの追求でも明らかになってきました。さらに詳しく調べていくと、初期に流入した稲は、陸稲耕作に適した品種であったこともわかっています。
しかし、本当に豊かな稲作が定着するには、水稲耕作が必要です。水稲耕作には、その技術が必要になりますから、ここに大陸からの渡来人≒弥生人の存在が見えてきます。そして、その変遷が縄文時代から弥生時代への移り変わりとも言えるでしょう。水稲は人が手をかければかけるほど豊かに実りが得られます。この水稲耕作の普及による食糧の増産こそ、強大な力を持つクニの誕生へとつながったと考えられるのではないでしょうか。
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posted by asahi at : 2022年02月01日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2022.01.27
【縄文再考】これまでの縄文観を覆す、新たな事実が見つかってきた
この間、縄文再考という視点で追求してきましたが、最新の調査・研究により、これまでの縄文観を覆す、新たな事実が見つかってきました。
今回は、これまでの追求を整理・紹介します。
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2022.01.26
【縄文再考】様々な地域から来て日本列島で混血した縄文人≒「多様性が縄文時代の人々」
旧石器時代の人類到達ルート 画像はこちらから
皆さん、こんにちは!
今回も、縄文人のルーツを探るお話です。人類の拡散とも関連します。
遺伝子は、DNAの塩基配列に表れる遺伝情報。分子生物学で盛んにおこなわれるミトコンドリアDNA(mtDNA)は、細胞の中の細胞小器官の1つであるミトコンドリアの持つ遺伝情報の読み取り。塩基配列を対象とすることから「シーケンス」、読み取る機械をシーケンサーと呼びます。
このmtDNAを全世界的に現生人類から採集して、単一の一塩基多型 (SNP;一塩基の変異が集団内で1%以上の頻度であるときの一塩基。低いときは突然変異と呼ばれる)変異があって共通祖先をもつと思われるよく似たハプロタイプの集団(ハプログループ)を想定して、人類の起源と派生ルートを想定しています。これが、よく言うミトコンドリア・イブを創出し、人類アフリカ単一起源説を導出した分析方法です。次世代シーケンサーの活用でより活発化しています。
しかし、各地で発掘される化石人骨などのDNA分析と照合すると、他にも検討すべき事項が出てきているのも事実。中でもアジア地域における、原人、旧人らの派生の様子は、単にアフリカ起源とするには多様性があり過ぎることが昨今話題となっています。
人類アジア起源の可能性の検討
篠田謙一博士「DNAで語る日本人起源論」(岩波現代全書)より引用します。
P65「2010年5月、ペーボたちは次世代シークエンサーを使って解析したネアンデルタール人のゲノムのドラフト(概要)を発表します。そのなかで、核DNAレベルで現生人類とネアンデルタール人が交雑している証拠が見つかりました。ネアンデルタール人はアフリカ人よりも、中国人やフランス人といった出アフリカを成し遂げた集団とSNPの変異を共有していたというのです。このことは、出アフリカを成し遂げた集団が、中東のどこかでネアンデルタール人と交雑したと考えるとうまく説明できます。混血の程度は2~5%と見積もられ、それほど大きいものではありませんでしたから、大規模な交雑があったとは考えられていませんが、ファースト・コンタクトは従来考えられていたような、現生人類による先行人類の一掃といった単純なものではなかったようだ、というのが最新のDNA分析によって導かれた結論となっています。(略)21世紀になって定説となりつつあった『アフリカを出たホモ・サピエンスが旧大陸に残るネアンデルタール人や原人の子孫を駆逐しながら世界に広がった』という新人のアフリカ起源説は、一部修正を余儀なくされることになりました。」
P66「約80万4000年前にデニソワ人とネアンデルタール人の祖先が現生人類と分岐し、それから後の約64万年前にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐したと訂正されています。この研究でも現代人との間の交雑が検討されましたが、不思議なことにデニソワ人と東アジアやヨーロッパの集団との間には交雑が認められず、メラネシア人のゲノムの4~6%だけがデニソワ人固有のものと一致することが示されました。その後に行われた東南アジア集団の詳細な解析で、デニソワ人のゲノムがこの地域の広範な集団に共有されていることが明らかとなり、交雑の起こった地域も東南アジアである可能性が指摘されています。」
P68「今のところアフリカで出土した原人化石からのDNA分析は報告がありませんが、サハラ以南のアフリカ人の大規模なゲノム分析から、彼らのゲノムには2%程度絶滅した人類のDNAが伝わっていると推定されています。この未知の人類は70万年ほど前に私たちの祖先から分岐し、3万5000年ほど前に中央アフリカでホモサピエンスと交雑したとされています。また2013年には、サウスカロライナ州に住む一人のアフリカ系アメリカ人のY染色体DNAが、30万年以上前に他の現代人の系統から分岐した未知の系統に属するものであるという研究結果も報告されています。Y染色体のDNAデータベースの検索によってこの系統はカメルーンの西部のごく狭い地域に起源することも突き止められており、ホモ・サピエンスがアメリカの西部で未知の旧人類と交雑していたことを示す証拠となっています。」
P78「意外なことに、アフリカと中近東を除くと最も古い年代を示すホモ・サピエンスの人骨は、アフリカに近いヨーロッパではなく、東南アジアやオーストラリアで見つかっています。前章でも述べたように、このことを根拠に出アフリカを成し遂げた人類は、最初に南アジアを通過してオーストラリアに至る経路に沿って展開したのではないかとと予想されています。」
画像はこちらから
今のところ、アフリカ起源説を明確に否定はしないものの、割と早い時期にアジアに到達した、と言わざるを得ない様です。
現生人類へ至る古代人類の進化と移動の過程が、思いのほか多様であることにDNA分析により気づかされつつある、という状況です。
大きくは、アフリカ~西アジアエリアと、南~東南アジアエリアに大きな人類集団のまとまりがあるようです。
縄文人とは何か
同じく「DNAで語る日本人起源論」より引用します。
P191「縄文人は旧石器時代にさかのぼる周辺の南北双方の地域から流入した人々が、列島の内部で混合することによって誕生したと想定できます。人骨の形態学的な研究をしている片山一道さんはかねてから、縄文人はどこから来たのではなく、列島内で縄文人になったのだと主張しています。私たちは、これまで縄文人の起源を求めて日本の周辺の各地で人骨の形態を調査してきました。しかし、その時間の幅を現代にまで広げてみても、アイヌの人たち以外に縄文人に似た形態をもつ集団は存在しませんでした。その為縄文人の源郷を探る試みは頓挫しているのですが、そもそも縄文人は由来の異なる人々の集合によって列島内で誕生したと考えれば、外部に形態の似た集団を探すことに意味は無いことになります。」
P197「他の東アジア集団との比較では、縄文人のユニークな遺伝的特徴が際立つ結果となりました。更にはデータの揃っているアジアを中心とした世界の様々な集団を加えて集団の近縁関係を分析してみると尻労安部洞窟の縄文人は東ユーラシアの集団の根幹から分岐していることも示されました。このユニークな縄文人の特徴は、ミトコンドリアDNAの節でも説明しましたが、縄文人がアジアの広い地域の集団からDNAを受け継いでいるので、特定の集団と近似しないのだと考えると説明が出来そうです。実際後述するように、分析によって東アジアの広い地域の集団が低頻度ながら縄文人と同じSNPを共有していることも分かりました。今のところ核ゲノム分析の結果も、旧石器から縄文の長い時間軸の中でユーラシア大陸の東端に南北に連なる列島に様々な集団が到達し、他に類を見ないユニークな遺伝的特徴を持った集団が形成されていったというシナリオを否定してはいないのです。」
縄文人のゲノム解析の結果(1)画像はこちらから
上の図で、尻労安部縄文とあります。「しっかりあべ」と読み、青森県下北半島にある遺跡です。そこで発掘された縄文時代人骨が、東ユーラシアの集団から分岐したことを示す一方、特定の集団と近似しないのは、広い地域の集団から受け継いでいるからだと篠田博士は説明します。
そして、「多変量解析という統計手法を使った人骨の分析によって『「弥生時代になって農耕技術と共に大陸から渡来人が日本列島に進出し、在来の縄文人と混血していくことで本土(本州・四国・九州)の集団が形成されたが、海を隔てている北海道と沖縄では混血が進まずに縄文人の子孫たちが残った』とする二重構造説が、その後の日本人のルーツの定説となっていきます。
この学説では縄文人の由来は南方にあるとされ、彼らが列島の基層集団となって、狩猟採集を中心とした縄文文化を築き、弥生時代に水田稲作の技術を持って新たに渡来した大陸系のグループ(縄文時代以前に分かれ、大陸で独自の農耕文化を生んだグループ)が主に北部九州から日本に入り、縄文時代人と交雑しながら最終的に『本土の現代日本人』となっていったという二重構造説のシナリオは、古人骨のDNA分析によっても、ある程度証明されています。
現代日本人のハプログループは弥生人以降に入ったものが大部分を占めていることも明らかになっており、これは二重構造説を支持します。しかし、二重構造説では日本列島の縄文人は均一であると考えていますが、沖縄から北海道に至る全国の縄文人骨のDNAから検出されるミトコンドリアDNAのハプログループを見ると、一様ではなく地域的な違いがあることが分かっています(図3)。」とも。
図3.北海道の縄文人の全ゲノム解析から導かれた縄文人の成立のモデル図
(画像は「日本人はどこから来たのか? ~MYCODEセミナー「ミトコンドリアDNAでたどる日本人のルーツ」2019年5月国立科学博物館篠田謙一館長 特別講義から)
「縄文人」に関しては、どうにも実像が掴みにくい印象がありました。
例えば、土偶。何のために創られたか、全くと言ってよいほど不明です。しかも、作風が時代や地域でかなり異なる。遮光器土偶に至っては、もはや宇宙人。次に土器。火焔式土器はやはり独特。これも突然現れ、その後消滅します。
「縄文人」とい特定的な人種を想定するのは、篠田館長が言うように、少し強引ではないかと考えます。
多様な人々があちこちから日本列島に到達して、日本列島内で混血して、縄文時代をそれぞれ地元の文化で暮らしてきた。そう考えると多様な文化や、大陸文化との近親性も説明できます。
そして弥生時代になって朝鮮半島のごく狭い地域の渡来系人々と混血して、弥生人が定着、その後の日本人の源となったと言えそうですが、如何でしょうか。
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2022.01.21
【縄文再考】縄文人は「女の家」「男の家」「若者の家」とすみ分け、社会的分業を高度化し自生力を高めた
先日は竪穴住居について記事を書きました。
【縄文再考】全国各地にある竪穴住居は北方適応住居だった。シベリアから技術流入したか?
茅葺きや土屋根、凍結深度以下、2つ1セット、夏用冬用など様々なキーワードが出てきましたね。
次に気になるのは縄文人の子育て・人材育成です。無文字文化で情報を伝達するというのは、実際のやり取りを重ねる他ありません。かなり難しいように思います。
土器、土偶、武器などの道具作りや、季節ごとの狩猟採集、竪穴住居づくり、料理や衣服の製作など。
生きることに関わる全てのことを自分たちでやってのける訳です。(教えること多すぎっ)
実は、自分たちで生きる力(以下自生力と呼ぶ)を身に着ける・強めるのに竪穴住居が大きく関係しているのです。
正確に言うと、竪穴住居に暮らす生活単位が大きく関係しているのです。
今回は竪穴住居の暮らしについて追求していきます。
竪穴住居の暮らし方
皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?この中で縄文人は「家族」という単位ではなく、「女の家」「男の家」「若者の家」と別れて暮らしていたとされています。
※家族という概念が曖昧なのは、当時は今のような婚姻制度はなく、氏族の長が認めた者同士が結ばれる、それも外婚だったとか。夫が嫁の元に戻って来なかったらそれは離婚を意味したしたのだそう。だから、子供は誰の子か分からなくなっていきます。子供が出来れば村のみんなで育ててるのです。
そうして、女と男、若者がそれぞれの役割を果たしながら生活していたのでしょう。
では、なぜ「女」「男」「若者」と住居を分けたのでしょうか?
長野県諏訪郡富士見町にある、井戸尻考古館の学芸員・小松隆史さんはこう言っています。
「子どもは女性の家で育てられますが、男の子はやがて狩猟を覚えるために男性の家に出入りするようになる。
自我が成長するにしたがって、外へ出てはまた帰ってくる、大人と子どもの境界をさまよっているような存在です。
居心地のいい“どちらでもない”期間と場所がある。そこで性教育も含めて、生きる術を学んでいたのでしょうね。」
世界の民族学研究でも、若者の住居が別にあることは珍しくないのです。
縄文時代の“竪穴住居”を知れば、火と水、土との暮らしかたが見えてくる。今こそ見直したい、縄文人の小屋
小松隆史氏の見解から考えられるのは、
「役割分化単位での暮らしで集落の総体的な自生力を養うため」
役割分化の利点は、極めることとそれによる総体的な力を増すことにあると思います。
狩猟を極める者(男)、土器づくりを極める者(女)がいたと思います。土偶も師匠のような人がいたという話もあります。
それぞれの分担の中で特化していく。そういう人たちの集まりと考えれば強い集団になりそうです。
現代でも多くの企業が分業し、その道を究めることを行っていますが、その原点が縄文時代です。
「女」「男」「若者」の役割とそれぞれの住居でどういった生活が行われていたのでしょうか?
- 「女の家」 :村の世話、子育てを役割として、子育ては“女たち”で行っていた。土器づくり。
- 「男の家」 :狩猟。武器づくりを主の役割として、男たちで闘争圧力を高めていた。若者の世話も。
- 「若者の家」:生きる力を鍛えるため、特訓の繰り返し。男の家に習いにいく。
縄文時代は社会的な分業(全員で同じことではなく、役割分担をしていた)をもって生きていたと言われています。それぞれの単位で暮らしながら学びあう、そんな生活を送っていました。それが集団を強くする竪穴住居の住み方です。
近くに明確な同化すべき対象がいること、役割が明確なので追求スピードも速かったのでしょう。
まとめると、
・縄文人は社会的な分業を高度化し、自生力を高めるために「女」「男」「若者」ですみ分けた。
・ただ暮らすのではなく、現実課題があることを前提に分業し、学びあう生活を送っていた。
・竪穴住居は北方適用した住宅で快適に過ごせるだけでなく、集団を強くするひとつの武器だった。
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posted by matudai at : 2022年01月21日 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList